海外の凄いひとたちの歴史・・・その10

★アルフレッド・P・スローン

1923年のアメリカは、折から空前の自動車ブームにさしかかっていました。

この年に首位の鉄鋼業を抜いて、販売高が31・6億ドルに達した自動車産業は、はじめてアメリカ最大の産業となりました。

GM社長になったばかりのスローンの重要な任務は、まずこのブームに乗ることでした。

しかし、幸いなことに、GMはこの時すでに立て直し政策が完了していたばかりでなく、彼が打ち出した経営革新もことごとく実を結んでいったのです。

まず、スローガンが創設した分権的事業部制がうまく作動しはじめ、会社に活力を与えていました。

その結果確立されたシボレー、オールズモビル、オークランド、ビュイック、キャディラックの5大事業部は、相互に自立的に競争しつつも価格市場別に調整され、いわゆるフル・ライン・ポリシーが確立されました。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その9

★アルフレッド・P・スローン

ちょっと意地になったデュポンは、シボレー事業部長を辞めさせて、自ら部長を兼務してまで、この銅冷エンジン車の製作にこだわりましたが、結局は失敗に終わったそうです。

それは全部で759台生産されましたが、このうち239台はスクラップ化され、市場に出た100台も「欠陥車」として全部回収されました。

これでもおさまらなかったシボレーの連中は、この欠陥車をエリー湖の湖中深く沈めてうさを晴らしました。

開発の責任者ケッタリングは辞任を申し出たが、スローンはこれを押しとどめ、むしろ新設のGM開発会社の社長に任命しました。

スローンは、もしケッタリングが辞めれば、銅冷車の失敗を認めることになり、デュポンにもキズがつくことを心配したのです。

他方デュポンも、熱が冷めてみればもう自分の出る幕でないことを知り、これをしおに社長の地位をスローンに譲ったのです。

取引の多様化

取引の多様化に伴い、書類の要件を明確化することを強調しています。


トラブル防止上からも重要なことです。


信用状の発行日より前の発行日の書類の受理(第24条)実際の取引を考慮して改訂された規定です。


運送書類に関する大幅な改訂(第25条、第26条)在来の海上船荷証券は、第26条で規定され、その前条(第25条)に、コンテナによる複合一貫輸送に代表される新しい型の書類に関する規定が設けられた。


関係規定は長文であり、要点を比較してとりまとめると次表のとおりです。


フレイト・フォワーダー発行の書類に関しては、運送人として行動するアレイト・フォワーダーのものか否か、一見して明確でないケースも想定され、かつ運送責任に関し実体はどうか等、当分、実際の取引における注意点といえるでしょう。


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海外の凄いひとたちの歴史・・・その8

★アルフレッド・P・スローン

再建途上にあったGMに、思いがけない災難がふりかかってきました。

慎重居士では定評のあるピエール・デュポンが、技術スタッフのチャールズ・F.ケッタリングが開発した銅翼冷却エンジンのとりこになってしまったからです。

おそらくこの画期的な空冷エンジンを小型シボレーに積みこめば、人気をすっかり独占しているT型フォードに一泡吹かすことが可能とみたからでしょう。

しかし、デトロイトの現場の自動車屋たちは、エンジンの性能自体にも懐疑的でしたが、底流として、東部から来て車のことは何も知らぬ経営者には不信感を持ちました。

さらに、シボレー事業部の連中には、デュポンに取り立てられたケッタリングとその開発部に対する反発もありました。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その7

★アルフレッド・P・スローン

GMは、デュラントが残した大きな後遺症から立ち直るだけで2年半を要しました。

スローンが第1に着手しなければならなかったのは、デュラントが集めたたくさんのバラバラの"積み木"を整理して、これを注意深く積み上げることでしたが、この積み木細工にはお手本がなく、自分が作った「組織研究」があるのみです。

しかも、ひとつひとつの積み木は血の気の多い、独立心の強い一国一城の主たちによって運営されている組織体でした。

スローンが最も神経をすり減らしたのは、いかにしたらこれらの人びとに、やる気を失わせずに本社の命令に従わせることができるかということでした。

これには分権的事業部制が最適であったことは言うまでもありません。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その6

★アルフレッド・P・スローン

デュラントが追放されると、会長のピエール・S・デュポンは社長を兼ねるとともに、スローンを、はじめは諮問スタッフ担当の、のちには現業部門担当の副社長として抜擢しました。

彼は文字通りデュポンの右腕となりました。

一方は大財閥の御曹子、他方は中小企業の出身と、その身分の違いこそあっても、大学は同門のMITで、デュポンはスローンの5年先輩に当たっていました。

当時のデトロイトの自動車屋たちの世界に、このような名門大学出のインテリは、いるわけがありませんでした。

このような信頼関係のおかげで、デュポンはスローンの「組織研究」を何らためらわずに、一部の修正だけで承認したのです。

この研究は「GMの組織を貫く『分権化』の根本原則の一つの表現として、経営方針の基本となり、さらにアメリカの他の大企業にも、なにがしかの影響を与えた」とスローン自ら述べています。

いうまでもなく、それはのちに企業史上最も価値の高い文献の一つとなったのです。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その5

★アルフレッド・P・スローン

拡張戦略に夢中のデュラントはもちろん、大株主のデュポン家も戦時・戦後の自社の火急の問題に没頭して、他を顧みる余裕がありませんでした。

「スローンもほかのGMの幹部に劣らず、日常の問題に追われていた。…(中略)…しかし、スローン自身はこうした状態に疑問を抱いていたから、みずからの発意によって、時間をみつけては、どうしたらこうした重大な必要に応えられるかについて、広範な研究を行うことができたのである」

この「組織研究」は1918年夏ごろから書きはじめられ、翌年の終わりか1920年はじめに完了したらしい・・・。

すぐデュラントにこれを見せたのですが、彼はまったく関心を示さなかったようです。

さすがにがっくりしたスローンは、会社を辞めようとまで思いつめたものですが、前述のようにちょうどそのころ、幸か不幸かGMは火の車になりはじめました。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その4

★アルフレッド・P・スローン

1918年には同社がGMに吸収されるとともに、スローンは親会社の取締役となり、付属品担当副社長、経営委員会のメンバーにも選ばれました。

高い地位に昇進するに従い、スローンの視野は急に広がりました。

いままで外から眺めていたのとは異なって、GMを内部から観察するようになり、それだけにますますその組織の欠陥とデュラントの乱雑な経営が目につくようになりました。

チャンドラーはこのときのGMの状態について、「第1次大戦後GMで最も明瞭で、最も差し迫った問題となったものは、組織の問題でした。

しかもスローンを除いて、幹部の誰一人として組織上の必要に対し、本気になって注意を払うものはいなかった」と書いています。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その3

★アルフレッド・P・スローン

20世紀に入るとともに、ベアリングの仕事は自動車用に市場が伸びるにしたがい、にわかに急成長を遂げるに至ったそうです。

当時主力部品メーカーのチャールズ・S・モットの工場(のちGMに吸収された)に出入りするようになって、スローンはそこでナッシュやクライスラーなど、自動車業界きってのメカニックスたちとも知り合い、またフォードやデュラントとも近づきになりました。

1908年からはフォード社はハイヤットの最大の得意先となり、売り上げの半分を占めるようになりました。

1916年春、フォードに次ぐ得意先、GMのデュラントから電話がかかってきました。

ハイヤットを売らないかという話でした。

その単刀直入さにはスローンも驚いたが、彼の1500万ドルという言い値に対する相手の答え、1350万ドルに応ずることになりました。

もとは5000ドルではじめた事業だから、悪いはずはありませんでした。

こうして会社とともにGMに入ったスローンは、デュラントがほかの部品会社とともにつくったユナイテッド・モーターズ社の社長に任ぜられたのです。

海外の凄いひとたちの歴史・・・その2

★アルフレッド・P・スローン

1895年、デュリア兄弟がアメリカで最初のガソリン自動車をつくった年に、ボストンの名門校マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業し、直ちに父が出資していたニュージャージー州ニューアークのハイヤット・ローラー・ベアリング会社に入社しました。

当時従業員25人、10馬力のモーター一台がすべての機械を動かすという、ささやかな会社でした。

将来を夢みる多感な青年にとって、そこでの仕事はあまりにも夢がなかったそうです。

一時電気冷蔵庫メーカーに入ったが、ハイヤットが破産寸前に追い込まれたので、呼び戻されました。

父とその協力者はスローンに5000ドルを与え、6カ月で立て直しを命じました。

彼の能力が試されのです。

彼らの期待に応えて、6カ月後には会社を1万2000ドルの収益をあげるまでに回復させました。

直ちにジェネラル・マネジャーに引き立てられたスローンは、今度は自らすすんで熱心に経営に取り組み出しました。

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